眠りにつく時に Ⅲ
結局、オレは居間のソファーで夜を明かした。
「……レン?」
聞こえてきたアルトの声に目を開けて顔をあげると、変な顔をしたメイコ姉がいた。
「おはよ」
とりあえずそう言うと、はあ? とメイコ姉は眉をつり上げた。
「おはよじゃないわよ、あんたなんでここで寝てんの……ついにリンとけんかした?」
ついに、というのはこの頃リンと前みたいに共に行動していなかったからだろう。まわりから見てもわかるほど、俺たちの関係は今ぎくしゃくしている。
その原因は、全部オレ。
「するならこれから、かな」
「は?」
すっとんきょうな声を上げたメイコ姉を残し、オレは居間を出た。
いつまでも一緒、ってわけにはいかないんだ。
心を決め、足を進める。
向かうは、マスターの部屋。
オレの願いはあっさりと聞き入れられた。
「オレ、自分の部屋もらえたから」
朝食の時に言ったら、みんな一瞬ほうけた後、口々によかったねーと言われた。
ただ、彼女だけは、固まっていて。
「だからリンは今日からあの部屋一人で使いなよ」
リンの顔を見ていられなくて、食事に集中するふりをした。
なんて顔してるんだよ、ばか。
マスターの手配で荷物の移動はすぐに終わった。
早速作られたオレの部屋の真新しいベッドに横になると、遠くからミク姉とリンの声が聞こえてきた。マスターのところでレッスン中なのだろう。そんな時間だ。
この間からやってるミク姉とのデュエット……そういえば、そろそろ完成だって言ってたっけ。
目を閉じ、耳を済ませて曲を聴く。
ピアノ旋律のバラードか。マスターにしては珍しくテンポの遅い曲だな……
相変わらず滑舌悪、しって言えてないし。甘ったれた声……
聞き入ってると、突然、それまで重なっていた歌がずれた。
音楽が止まる。
思わず体を起こし、ため息をつく。
おいおい……歌詞間違えるなよ。
今頃、片割れの彼女はマスターとミク姉に対して必死に頭を下げているだろう。歌い始めならまだしも、もう完成間近の歌なのに。よっぽど上の空で歌っていたに違いない。
ばかなやつ。
「メイコ姉、なんか食いもんある?」
台所に行ってそう言うと、おにぎりが出てきた。
「なに? お腹すいた?」
「いや、ちょっと自主練して来ようと思って」
おにぎりを皿ごともらい、オレは台所を出る。
「夕食いないかもしれないけど、気にしないでいいから」
「おーけー。でも、あんまりこんつめちゃだめよ?」
「わかってるって」
そのまま居間を出ようとした時だった。
「レン、あんたは虫にさされてない?」
「は?」
メイコ姉の突拍子もない質問に、オレの足は止まる。
「なんで?」
「いやね、リンが虫にさされたとかいって薬探してたのよ。だからレンは大丈夫なのかなって?」
ぴんと来たのは、やっぱり罪悪感でいっぱいになっているからだろう。
「別に? 大丈夫だよ」
リンは、無邪気だ。
明るくて、かわいくて。
なにも知らなくて。
その無知に救われたこともあったけど、
今はこんなに、彼女の無知が憎い。
夜、もうメイコ姉さえ寝ただろう時間にオレは帰ってきた。
リンの部屋はもう電気が消えていた。
本当は、自主練なんてしていない。
ただ、リンの顔を見たくなくて、隠れていただけだ。
誰にも見つからないところで、歌なんか歌わず、ただぼーっとするだけをよく何時間もやってられたな、と自分に関心してしまう。
「おやすみ、リン」
扉の向こうにいるだろう片割れに言い、オレはその場を後にした。
新しい部屋は、まだ全体を把握していなかった。
せめて照明のスイッチの場所だけでも確認しておくんだった、と思いながら、壁に手を滑らせる。
「レン?」
一瞬部屋の中にリンがいるのかと思った。けど、そんなわけはなくて。
はは、と自嘲気味に笑う。
どうやらオレは本当におかしくなったらしい。
幻聴が聞こえるなんて、ほんとどうかしている。
「レン、だよね」
暗闇の向こうから聞こえてきた声に、オレは今度こそ固まった。
照明のスイッチに触れた指に妙な力が入る。
「おかえり、なさい」
信じたくない。
オレがおかしくなっているだけなら、どんなに楽だろう。
照明のスイッチを、押すことができない。
たしかめたくない。
「なんで」
それしか、言えなかった。
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はくしゅ
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