枯れ落ち葉の紅の色 弐
あんな男は、初めてだった。
めったに出ない高い酒がおいしくない。
原因ならわかってる。
気づかれないように視界の端で盗み見れば、あの男はまだこちらを見ていた。
「姐さん!」
座敷を離れて客のいないところに出れば、新造たちがかけよって
来た。
「あの若い人、ずっと姐さんのこと見てたよ」
「酌するあたしたちのことなんか、完全無視!」
きゃいきゃいと騒ぐ彼女をひきつれ自室に戻り、手を借りながら重たい着物を脱いだ。
「姐さん、気づいてた?」
「当たり前でしょ。あれだけ穴があくほど見られてたら、どんなに遠くたってわかるわよ」
お陰で肩が凝ったった。ただでさえ重い着物で疲れるのに。
「あの男、名前は?」
何気なく聞けば、彼女たちは顔を見合わせた。そして、口々に珍しい、と呟く。
「なに?」
「だって、いつもは客なんてどれもおんなじ、みたいな姐さんが」
「自分から客の名前聞いたんだもん」
「あれだけ見られてたら、気になるわよ」
「すっごい見てたもんねぇ、呉服屋の若旦那」
あたしの着物を片付けながら新造たちはくすくすと笑う。
「ほんと。名前なんだっけ」
「レン、とか言ってたような気がするけど」
レン、か。
きっとまた来るんだろう。
煙管をくわえ、煙を肺一杯に吸い込みながら今日の客の顔を思い出す。
あれは完全に虜になった目をしていた。金の振る舞いもすごい。
今日だって、あの二人のために何人の遊女が出たことか。女将がいい客が来たって喜んでたし。
物思いにふけっていれば、新造たちはさっさと仕事を終えたようで、
「じゃああたしたち仕事戻るね」
「姐さん、お疲れ様」
ぞろぞろと部屋を出る間際、一人がふりかえり言った。
「後ね、あの人の顔、姐さんにすごくそっくりだったよ。今度じっくり見てみなよ」
その言葉を思いだし、今日まじまじと見てみれば、
たしかに、少し怪訝に思ってしまうくらいこの男の顔は私に似ている。
けど、今はそんなことたいした問題じゃない。
今なんとかすべきは、最初からずっと続いているこの視線だ。
絶え間ないその視線にまるで監視されているような感覚を覚える。見られ過ぎて、味覚までもが麻痺してきた。
せっかくの酒が美味しくないなんて、最悪。
本当は、こんなことしたくないけど。
目をあわせないように注意しながらそっちの方に顔をむける。
「お口にあいません?」
ぽつりと問えば、声をかけられると思ってなかったのか、反応が返ってくるまで相当時間がかかった。
「あ、いえ、いただきます」
そう言ってその男はやっと箸を手にとった。
その姿を見て、ほっと息をはいた。これで、ずっと見つめ続けられることはないだろう。
それにしても。
ちら、と盗み見れば、男は酌にかこつけて媚びを売ってきた遊女を拒絶しているところだった。
普通、どんなに心底惚れている女がいても、これだけ大勢の遊女が周りにいれば、少しぐらいへらっとするものなんだけれど。
あの男の周りにいる遊女がにや、と笑ってあたしを見た。
はいはい、まだ二夜目の客に声かけるなんて珍しい、って言うんでしょ。仕方ないじゃない。あれじゃ胃に穴があくわよ。
と、食事をしていた男が顔を上げた。
一瞬、目があう。
あわてて手元に視線をもどした。
ああもう! 客には三夜目まで声かけないし目もあわせない、っていうのがあたしのやり方だったのに!
どれだけ悔しがってももう遅い。
一瞬見た、あの男の目が、なぜか脳裏にやきついていた。
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